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横浜・池辺農園 さつま芋収穫の後は、玉ねぎとそら豆の作付け [池辺農園のはなし]

前回に引き続き、11/14の池辺農園の共同作業について報告する。

長時間にわたるさつま芋の収穫労働でヘトヘトになったが、玉ねぎの苗が届いたので、どうしても今日中に作付けまでやってしまわないと苗がダメになってしまうらしい。お昼ご飯を食べて馬力を入れなおしてから、マルチを6本張って玉ねぎの定植だ。
①玉ねぎの定植:耕運のあとを手作業で均しつつ、マルチを張っ
ていく。マルチを6本張るのは、中年男5人がかりでも結構骨が折れる作業だ。

tamanegi1.jpg

②玉ねぎの苗を丁寧に一本ずつ定植していく。
1,600本の苗を今日中に植えきらなくてはならないので、長時間しゃがんだままの作業となり
かなり足腰がつらい。明日筋肉痛にならなければいいが・・・・・・・・。

tamanegi2.jpg

③スイカを収穫した後はそら豆の播種だ。
スイカの収穫後は三ヶ月ほど何も作付けしていない区画だが、いよいよ今日、そら豆の播種を行う
ことになった。収穫は来春5月頃の予定だ。ところで、そら豆は植える方向と深さが大事で、間違
うと発芽しないらしい。とてもデリケートな豆なのだ。

・殺菌剤で青くコーティングされているそら豆。
soramame1.jpg
・種まきは、「お歯黒」が下になるように、そして豆が呼吸できる
ようにごく浅く、豆の先端が表に出るように作付けしていく。

soramame2.jpg

≪そら豆のうんちく:ウィキペディアより≫
西南アジアから北アフリカが原産。日本へは8世紀ごろ渡来したといわれている。古くから世界各
地で栽培され、食用にされている。地中海地方でもかなり古くから普及しており、古代ギリシアで
の栽培記録や有名なトロイの遺跡から化石化したソラマメが見つかっている。
日本において、実際に記録として登場するのは、江戸時代の「多識篇(1631年)」で、初めて蚕豆
(ソラマメ)の名が出てくる。また、『農業全書』には「百殻に先立って熟し、青き時から莢なが
ら煮て菓子にもなり、また麦より先にできるゆえ、飢饉年にとりわけ助けとなる。
和名の由来は、豆果(さや)が空に向かってつくため「空豆」、または蚕を飼う初夏に食べさやの
形が蚕に似ていることから「蚕豆」という字があてられた。酒処では「天豆」と表示している場合
も多い。
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