お正月(その2) 女人高野 室生寺へ [奈良・和歌山の旅2012正月]
さて、かつらぎ町の丹生都比売神社を後にして、国道24号線を奈良方面に進み、明日香村を経由して旧室生村にある室生寺をめざした。途中から雪まじりのミゾレが降り出し、いやな予感がしたが、室生寺に到着する頃には晴れ間が広がってきた。
今から1200年以上も前の平安時代初期に建立されたとする国宝の五重塔だが、1998年9月の台風により杉の大木が倒れ掛かり、修復不可能なほどに損壊して痛々しい姿に変わり果ててしまった。ニュースで損壊した五重塔をご覧になった方も多かったと思うが、このニュースを見て以来、再建された折にはぜひ室生寺を訪れてみたいと思っていたのだが、なにせ交通の便が悪く、最寄の近鉄電車の駅は1時間に2~3本しか電車が止まらず、駅からのバスも1時間に1本しかないため、なかなか訪れる機会が無かったのだ。平安~鎌倉時代の参拝者は大変な思いをして訪れたのだろう。
①完全に修復され美しい姿を取り戻した国宝の五重塔。二億円近くの費用と二年の月日を掛けて修復されたそうだ。杉の大木が倒れ掛かっても倒壊しなかったという平安時代の建築技術は本当にすばらしい。
②「女人高野」の意味が分からなかったのだが、明治時代まで女人禁制であった高野山に対して、室生寺では早くから女性の参拝が認められていたことから女人高野と呼ばれるようになったらしい。ちょうど室生寺が建立された平安初期は、空海が真言宗を開き高野山に金剛峰寺を建立した時期にも近いので、そのように呼ばれたのであろう。女人高野=室生寺ということなのだ、なるほど。
③国宝の金堂(上)と灌頂堂(下)
金堂は平安初期に建立された建物が国宝、中にある仏様(十一面観音菩薩像・釈迦如来立像)も国宝なのだ。屋根の檜の具合といい、壁の木の具合といい実に趣き深い木造建物だ。
灌頂堂は、真言密教のもっとも大切な法儀である灌頂(かんじょう)を行う場所であったので、本堂とも呼ばれて、鎌倉時代に建立されたらしい。金堂同様、質素で趣き深い木造建築だ。
五重塔を真下から見守る地蔵群、こちらも趣き深い。
次回は諏訪大社をご紹介したい。
今から1200年以上も前の平安時代初期に建立されたとする国宝の五重塔だが、1998年9月の台風により杉の大木が倒れ掛かり、修復不可能なほどに損壊して痛々しい姿に変わり果ててしまった。ニュースで損壊した五重塔をご覧になった方も多かったと思うが、このニュースを見て以来、再建された折にはぜひ室生寺を訪れてみたいと思っていたのだが、なにせ交通の便が悪く、最寄の近鉄電車の駅は1時間に2~3本しか電車が止まらず、駅からのバスも1時間に1本しかないため、なかなか訪れる機会が無かったのだ。平安~鎌倉時代の参拝者は大変な思いをして訪れたのだろう。
①完全に修復され美しい姿を取り戻した国宝の五重塔。二億円近くの費用と二年の月日を掛けて修復されたそうだ。杉の大木が倒れ掛かっても倒壊しなかったという平安時代の建築技術は本当にすばらしい。
②「女人高野」の意味が分からなかったのだが、明治時代まで女人禁制であった高野山に対して、室生寺では早くから女性の参拝が認められていたことから女人高野と呼ばれるようになったらしい。ちょうど室生寺が建立された平安初期は、空海が真言宗を開き高野山に金剛峰寺を建立した時期にも近いので、そのように呼ばれたのであろう。女人高野=室生寺ということなのだ、なるほど。
③国宝の金堂(上)と灌頂堂(下)
金堂は平安初期に建立された建物が国宝、中にある仏様(十一面観音菩薩像・釈迦如来立像)も国宝なのだ。屋根の檜の具合といい、壁の木の具合といい実に趣き深い木造建物だ。
灌頂堂は、真言密教のもっとも大切な法儀である灌頂(かんじょう)を行う場所であったので、本堂とも呼ばれて、鎌倉時代に建立されたらしい。金堂同様、質素で趣き深い木造建築だ。
五重塔を真下から見守る地蔵群、こちらも趣き深い。
次回は諏訪大社をご紹介したい。
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