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醤油とみかんの里を訪ねて<その①>  由良の興国寺 [和歌山・醤油とみかんの里を訪ねる旅2013正月]

偶然TVの紀行番組で、醤油の起源が「金山寺味噌」であることを知り、正月の帰省ついでに金山寺味噌と醤油のふるさと湯浅町を訪ねることにした。長年地元和歌山で暮らしていたのに、金山寺味噌と醤油の関係をまったく知らなかったのは恥ずかしいばかりだ。

①醤油の起源は金山寺味噌から偶然生まれた「溜」 だ。
金山寺味噌は和歌山県民には馴染みのある食べものだが、県外ではまったくもって見かけることはなく、blogをご覧の方もほとんどご存知ないだろう。金山寺味噌は調味料としてではなく、ご飯のおかずや酒の肴として食べる味噌で、蒸しあげた大豆、米、麦に麹を加え、ウリ、茄子、生姜、紫蘇などとともに重石をして数ヶ月寝かして作られる。室町時代に中国から由良町にある興国寺の僧侶が持ち帰り、水のいい湯浅町に伝えられ生産が始まったようだ。実は偶然にもこの金山寺味噌の隅に溜まった汁である「溜」が、大豆を原料とする日本の醤油の起源なのだ。興国寺のある由良町と醤油発祥の地湯浅町は車で約20分程度の距離にあるが、高野山系を水源とする湯浅は水質が良いことで知られており、このことが興国寺から湯浅に金山寺味噌作りが伝えられた理由ではないかと言われている。保存法や流通が十分に確立されていなかった時代に、冬場に夏野菜を食べるための保存食として金山寺味噌は広まったようだ。

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※湯浅町の老舗:丸新本家の金山寺味噌

②由良町の興国寺を訪ねた。静かな山寺で、ここから醤油の歴史が始まったとは感慨深い。
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※興国寺:源実朝の菩提寺で、臨済宗妙心寺派の寺院。本尊は釈迦如来。


<醤油の由来:湯浅町商工会のHPより>
金山寺味噌は、お坊さんが考え出した、夏野菜を冬に食べるための保存食が起源です。その歴史をひもといてみますと、金山寺味噌の始まりは、遙かに鎌倉時代までさかのぼります。 建長元年(1249年)、僧、覚心(法燈国師)が中国(宋)に渡り修行のかたわら径山寺味噌の製法を習って、同六年帰国し、のち紀伊由良(現在の由良町)の興国寺を建立し、在山すること四十余年、その間が径山寺味噌の始源であると伝えられています。その後、諸説がございますが、交通の便も良く、また水質が味噌醤油の製造に適していた湯浅町に伝えられ、以来、750年にわたり金山寺味噌は変わらぬ手作りの加工法を今に伝えております。

<キッコーマンのHPより>
鎌倉時代になると、しょうゆの元になったと考えられる調味料「溜」(たまり)が現れます。1249年(建長元年)信州の禅僧、覚心が宋に渡って修行し、1254年(同6年)帰朝して「径山寺(金山寺)みそ」の製法を持ち帰り伝えたとされています。
その製法を紀州・湯浅の村人に教えているうちに、桶の底に分離した液(上澄みとの説もあり)が溜まり、それで食べ物を煮るとおいしい、ということを発見したといわれています。“桶の底で分離した液”は、湯浅で売り出されたということですが、この時代、まだしょうゆとみそは完全に別物ではなかったようです。現代の紀州・湯浅しょうゆは、この系統をひくものと伝えられています。


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